お金にネガティブな感情を持っている人は
この前会社の集まりで集金をしたのですが、
そのお金を誰かが取ろうとはしてないにしろ
多くの人のお金を、支払いまで持っているのって落ち着かないなと思いました。
なぜ落ち着かないのか…
これは、集金係に責任が生じている(と自分が感じている)から落ち着かないのかな、と思い、自己分析をしてみることにしました。
ちなみに、あなたはお金の背景に何を感じていますか。
本日の結論
「お金の背景に責任を感じる」
1.集金係は落ち着かない
2.“叩き”は人を追い詰める
3.責任を取れという人は被害者意識が強い
1.集金係は落ち着かない
なぜ、集金係で落ち着かなかったのか。
人のお金を受け取っているということを考えてみると、
お金を出す、という自分の価値観に向き合うことになります。
お金を出すということは、それに相応する価値を求めているということ。
お金を出すということは、その人たちには意図とか求めるものがあって、それに合意した上でお金を渡しているということ。
その合意に沿わないとどうなるのか。
例えばテレビのニュースでも取り上げられる
脱税とか、
年金を使ってしまったとか
無くしてしまったとか
直接は関係ないと思うのですが、お金にまつわる話題として思い浮かびました。
そのような事態になった時に、その人はどう扱われるか
そう、叩かれます
お金と距離を置きがちな人は、お金に対して、このようにネガティブな印象をお持ちなのかもしれません。
2.“叩き”は人を追い詰める
叩き、はどういう影響をもたらすのか
叩かれる = 信用を無くす、人が関わらないようにするとか
その結果、孤独になるかもしれないという危機感を感じてしまうのかもしれません。
予期不安というやつですね。
テレビで反復して何度も見ているため、自分も失敗するとそのようになるのではないか、と不安になってしまいます。
信用を無くすとか、孤独になることは、人にとってはかなり負担の大きいことで
耐えられないほどの孤独が生じると人は消えてしまいたいと感じてしまうことも。
いじめが辛くて消えてしまいと思ってしまう子供たちは
その孤独感が辛すぎるのかもしれません。
人は孤独を嫌うため、なにかとつながるために努力をしようとする。
その結果、空気を読むとか、相手に合わせるとか、ゴマをするとか
そういうものができてきたのかな、なんて思います。
もちろん反対に繋がりを諦めて、興味のないようにしている人たちもいますが、その根底にはつながりたいという欲求があるぁなと思います。
繋がりを持つことは、消えたい気持ちにならずに済むので、繋がることは精神的な健康にも必要。
ただ、つながるときに誰とつながるのか、どうつながるのかが大切かなと思います。
3.責任を取れという人は被害者意識が強い?
責任を取れ、という人は、
自分に不利益が生じたから、その損失を返せ!と言っているわけです。
ただ、これは誰にでも生じる感情で、
失うことに対して人は敏感に反応してしまいます。
ただ、過剰に人を叩く場合や大きな問題にしようとする人には注意です。
巻き込まれないように距離を置いたり、関わらないようにするのがいいと思います。
距離を置き、放っておく
それが上司でも深く関わらないようにするのがいいですね。
以上まとめると
・人叩きや孤独であることは人を追い詰める
・“責任取れ”という人は失うことが怖いと思っている人