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毒親のよる教育がどのような影響をもたらすのか分析してみた【結論:毒親教育の弊害は“価値観がゆがんで正しく努力ができない”こと】

本日は毒親に関する記事です。

 

毒親を持つ子供は“愛情”を受け取るために努力をしますが

毒親の影響で、努力の仕方にズレが生じます。

 

努力のズレが生じたことで

学校教育や社会人になった時に成果のでない努力になることがあります

 

 

毒親による教育がどのような影響をもたらしてしまうのか

まとめていこうと思います

 

 

 

本日の結論

毒親教育の弊害は“価値観がゆがんで正しく努力ができない”こと」

 

 

 

もくじ

⒈毒親の愛情表現は“気分次第”

⒉毒親の気分で子供は混乱する

⒊毒親に愛情を求めることはギャンブルをするようなもの

 

 

 

 

毒親の愛情表現は“気分次第”

 

本来子供は親から愛情を受け取るために様々な行動をします。

多くの親は気分の変動がありつつも一定の愛情を子供に渡しています。

 

毒親の場合は“自分の気分次第”で子供に愛情を与えます。

自分の気分で子供と関わっているので

子供は理不尽なことで怒られたり、愛情を受け取ったりする

 

子供は混乱してしまいます。

 

子供は

始めは愛情をもらいたくて色々していた行動が

怒られたくないための行動をし始めるのです。

 

結果的に褒められたり、愛情をもらえたりするので

子供は“親に愛情をもらうための行動”をするのです

 

親が言うように頑張れば頑張るほど、褒めてもらえる

 

「頑張る」基準が親の気分次第になるのです。

 

 

毒親の気分で子供は混乱する

 

この話を聞いて「大体の家ではそう言うもんじゃないの?」と言う話が聞かれるかと思います

 

毒親の場合は

この“親の気分”が大きく変動します

 

昨日は褒められたことが

今日は怒られる

 

いつも勉強しろと口うるさく言われるのに

勉強していたら「いつまで勉強してるんだ。目が悪くなるだろう」と怒られる

 

子供は何をしたらいいのか分からなくなります

 

 

このような環境が続くことで、子供の判断基準がどんどんゆがんでいきます。

 

 

毒親に愛情を求めることはギャンブルをするようなもの

 

 

愛情に偏りを持った人も

問題なく成長してきた人も

 

ある程度努力することと好きなことをすることを

バランスをとって生きていると思います

 

 

このバランスが崩れていて

何に努力をするのか、という選ぶ基準が“親に愛される”と思うものを選ぶ

 

そして、努力をしたとしても

褒められない、認められない、愛されない

褒められるために

認められるために

愛されるために

より努力をする

 

努力をして、認められたり、認められなかったり

努力をしても、努力が報われるかどうかが分からない

 

毒親を持つ人が、頑張ることや努力が苦痛なのは

その頑張りや努力によって

親からの愛情を受けたり受けられなかったりするから

もっともっと親の気分を満たすような頑張りや努力をしないと認められなかったから

 

 

頑張ることで苦痛を感じていた人が苦痛を減らすためには

 

今の努力の方向が間違っていることに気づくことが重要です

 

本来努力は愛情を受け取るためにするものではなく

何かしらの成果を出すために行うこと

 

そのため、少なからず努力をすることで成果や前進を実感することができます。

 

努力をすることは

毒親に愛情を求めることのように

ランダム性があるわけではありません。

 

毒親に愛情をもらうために努力をすることは

ギャンブルをしているようなものなのです

 

 

現在行っている努力の仕方で成果が出ているでしょうか

成果が出ていない場合は成果の出る努力の仕方をする必要があります。

 

努力の仕方を工夫することで

今まで培われてきた判断基準を変えていくことができます

 

 

 

以上をまとめると

毒親は気分次第で子供に愛情を与えるので振り回された子供は混乱する

・努力の方向がゆがんでしまうことで成果の出しにくい努力の仕方が身についてしまう

毒親に愛情をもらおうとすることはギャンブルをするように不確実なものをしようとすることと同じ